新・中途半端男の逆襲

ADHD診断済、超内向型人間、視覚優位者、アラサー独身、ドケチ。そんな中途半端男が人生を好転させるため前向きに生きようと足掻くブログ

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中途半端男の経歴③~絶望からひとつの希望の光~

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引き続き、中途半端男の経歴です。

今回は激動の社会人編です。発達障害を自覚した頃でもあります。 

  

社会人編(1社目)

大学卒業後、父の◯◯を使って(父から会社に対して直接的な働きかけはしなかったみたいだけど、実際たぶんそういうこと)、結構な知名度を誇る会社に入社しました。そして、何故か縁もゆかりもない大阪に営業として配属。しかし、ここが人生のターニングポイントであり、地獄の始まりでした。

全く仕事が覚えられず、喋れない、気が使えない、Excelもまともに使えない、プレゼンさせりゃ笑いもの。自分の無力さ、無能さ、頭の悪さに絶望し、「自分はゴミだ、屑だ、生きている価値なんて無い」と常に頭の中で復唱するようになり、常に「死にたい」と思い、精神的に壊れてしまいました。

 

この頃から精神科を巡るようになりました。しかし、最初に受診した医者からデプロメール(40mgだったかな…)を処方され、それを飲んだら3日間身動きが取れない状態になるなど、もはやメチャクチャな状態でした。その後、どの病院に行っても効かないSSRIを処方され、会社では副作用と戦う日々。特にSSRIの中でも強めの薬といわれているトリプタノールなどは眠気と口の渇きが辛く、会議などでは眠ってしまい、休日は22時間寝る日々(競馬だけはやっていた)。もはや毎日生きるさえが苦痛になっていきました。

 

ついに、「このままだときっと自殺するから、自殺するくらいなら退職しよう」と決意。「飲んでも辛くなるだけだから、薬なんて捨てちゃえ。それで悪化して死んだら死んだでいいや」と、自暴自棄ともいえる行為を図り、結局1年半で退職。別府にいる両親の世話になることになりました。 

 

大分無職時代

最初の4~5ヶ月は鬱っぽさが中々抜けませんでした。同期から「やめたのー?」メールでパニック状態に陥り、同期の連絡先を全削除したこともありました。

そんな中、NPO法人が運営している「若者サポートステーション」で、無職の発達障害を持っている人向けのカウンセリングをやっていると知り、月一で大分までカウンセリングを受けることになりました。そこで「職業訓練とかやってみない?」と提案され、通うことにしました。

その職業訓練にて簿記やPCを習い、簿記2級を取得してから、段々と自己肯定感が戻っていく感覚を掴むことができました。簿記2級に加え、タッチタイピングもこの職業訓練で習得することができました。このスキルは一生モノですので、非常に有意義だったと言えるでしょう。

 

ADHDの診断を受けたのもこの頃です。最初はアスペルガー症候群だと思っていたので、ADHDと言われたときには驚いた記憶があります。

この診断を貰ってからというものの、職業訓練が終わってから別府市立図書館に篭り、発達障害関連の書籍・うつ病関連の書籍貪るように乱読しました。おかげで自分の特性を詳しく知ることができ、自分の特性に合わせた行動・選択を取ることができるようになり、それは今でも役に立っています。

 

この別府での無職期間は、今までの人生の中で一番重要な時期だったかもしれません。

何故なら、自分を見つめ直すことができ、それが現在に繋がっているから。

僕という人間に、絶対的に必要な時間だったのでしょう。

 

 

社会人編②へ続く 

 

 

中途半端男の経歴シリーズ

中途半端男の経歴①~給食が原因で自殺を図った小学生時代~

中途半端男の経歴②~中途半端だったけど比較的平和な中高大~

中途半端男の経歴③~絶望から希望の光~

中途半端男の経歴④~ブラック企業を経て現在へ~

 

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