新・中途半端男の逆襲

ADHD診断済、超内向型人間、視覚優位者、アラサー独身、ドケチ。そんな中途半端男が人生を好転させるため前向きに生きようと足掻くブログ

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中途半端男の経歴①~給食が原因で自殺を図った小学生時代~

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管理人の中途半端男と申します!

 

前ブログでは書いてこなかった、僕の経歴を綴っていきます。

④まであります。

本当はもっと長編になる予定だったのですが、これまでの経験は、今後随所随所で記事にしていこうと思います。

 

中途半端男の略歴

大分県別府市で誕生。

 

父が転勤族だったため、小学6年生までに5度の引っ越し、2回の転校を経験。

引っ越し遍歴についてはこちら→「地元はどこ?」と聞かれ中途半端な回答をせざるを得ない男

 

大学卒業後は転職を2回経験。無職期間もあり。

 

一番の趣味は競馬。好きになったきっかけはこちら→ディープインパクトが負けた有馬記念から、私は競馬が好きになった

 

現在は中小のシステム会社にて、システム運用代行を行っている。因みにエンジニアではない。業務内容を細かく言うと特定されかねないので勘弁。

 

今回は誕生から小学生時代までの僕についてです。

 

プロフィールは ↓

自己紹介+プライバシーポリシー 

 

幼少期

癇癪が凄まじく、言うことを聞かない子供だったそうです。

病院に行けば大暴れをし、弟が腹の中にいた母親をバタバタと蹴飛ばし、医者から「どういう躾をしているんだ! 早く連れて帰れ!」と母親が怒鳴られたこともあったそうです。

不注意も酷く、公園の遊具から落下し(マンション2階くらいの高さはあった)、コンクリートの地面に頭を打ち付け、救急車で運ばれたこともありました。幸い石頭だったため、大事には至りませんでしたが、打ちどころが悪ければここで死んでいたかもしれません。

体も弱く、4歳時に肺炎になって生死を彷徨ったり、まさに親に苦労をかけるために生まれた子供でした。

 

はい、完全にADHDの子供の見本のような存在でしたね。

当時そんな概念は周知されていませんでしたが、今なら確実に発達障害を疑われていたでしょう。

 

幼稚園時代

いつぞやかは忘れましたが、幼稚園バスでゲロ吐いて以来常にいじめられていて、友達らしい友達もおらず、いつも独りぼっちだった記憶があります。この頃、野原しんのすけのように友達と楽しく遊んだ経験などおそらくなく、家でノンタンやピーターラビットの絵本を読むのが好きなインドア派の子供でした。

当時から人の話を聞くのが苦手かつ不注意も酷かったので、すぐ切れる若い幼稚園の先生からビンタされた記憶もあります。幼稚園に友達はおらず、先生からも虐げられ、家に帰れば母親から癇癪を起こされ、父親には1日1回は怒られ…、否定される毎日でした。

思い出してみれば、そんなんで子供の自己肯定感が育つわけがないんですよね。常に否定されていたので、気がつけば、何事にもビクビクする子供になっていました。それはアラサーになった今でも治っておらず、僕の根底にある強い自己否定感は、おそらくこの頃に培われたものでしょう。今更どうすることもできませんがね。。。

 

ちなみに、自殺念慮は5歳くらいからあった気がします。「大人になったら何になりたい?」と聞かれても、大人になるまで生きている想像がつかなかったため、何も答えることができませんでした。

5才児の自殺念慮幼稚園の頃から死にたいと思っていた子供、いたんですかねぇ。。。

 

小学校時代

いじめらしいいじめはなかったのですが、偏食が異常に酷く(今も酷いけど)、給食が食べられず、非常に辛い思いをした時期でした。

毎日4時間目になると胸が苦しくなる毎日。そして給食時間。野菜が一切食べられない、果物が一切食べられない。食べようとしても吐いてしまう。そして、そんな僕に担任からの心無い罵倒。「好き嫌いが多い子供=人間失格」、「総括の見込み無し」といったような烙印を押され、ずっと苦しみ続けました。僕のような”給食を残す人間”は、理想主義を掲げる彼らにとって、まさしく「害悪」でしかない存在だったのでしょう。

当時どのくらい苦しんだかというと、自殺念慮が更に悪化し、小学校1年の時から常に「死にたい」と思っていたほどで、特に酷かった小2の頃は、強迫性障害もしくは社会不安障害のような状態に陥り、学校に行く前「地球が壊れる!」「皆死ぬ!」などと訳のわからないことを言い出し、登校拒否をし、登校中に毎日吐くなど、母親を大いに困らせました。

挙句の果てには自宅マンションのベランダから飛び降りようとしたり、もはや自分でも制御不能な状態になっていました。

 

その後、小3での福岡への転校でその症状は和らぎました。

小学校3~4年時は比較的不安感は少なめだったのですが、小5の担任との相性が合わず、給食を残すと癇癪を起こされ、メンタルが弱かった僕はまた塞ぎ込むことが多くなりました。小6時の担任も給食残しを許さない先生で、僕の給食恐怖症は、小学校6年生の2学期初めに川崎市の小学校に転校するまで続きました。

その川崎市の小学校では、給食残しについて非常に甘く、先生ですら堂々と残しているくらいだったので、給食について全く心配することがなくなったのです。

僕はようやく小学生らしい快活さを取り戻し、給食という大きな懸念事項のない世界を楽しむことができるようになったのです。

 

もし小3、小6での転校がなければどうなっていたのでしょうか。

きっとこの世にはいなかったに違いありません。

 

 

 

中学~大学編に続く

 

 

中途半端男の経歴シリーズ

中途半端男の経歴①~給食が原因で自殺を図った小学生時代~

中途半端男の経歴②~中途半端だったけど比較的平和な中高大~

中途半端男の経歴③~絶望から希望の光~

中途半端男の経歴④~ブラック企業を経て現在へ~

 

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